(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)
以前、T会長にこんな質問をしてみた。
僕:『行動分析学って批判や反論ってあるんですかね?』
T会長:『うーーん 聞いた事ないなあ・・・』
そうなんですよね。何事にも批判や反論はつきものです。しかし、行動分析学についてはあまり批判的な意見は聞いたことがありませんでした。以前に参考文献などで、人を動物扱いしているという批判があるということは目にしたことがありますが、人だって動物だし、ご褒美にアメをあげることが行動分析学と思っている人の意見なのかなと思っていました。
しかしこの度、なるほどと思う批判(批判ではありませんが、行動分析学への捉え方?)を耳にする事がありました。それは、
【 時代は、行動主義から認知心理学へ推移している 】
という意見です。その意味というのを次のように説明されていました。
心理学の歴史からいうと古くは孔子や老師(儒教)に始まり、人の心をその人の捉え方で表現することが始まりだそうです。そうしていく中で、心理学を科学とし定型化してくためには、行動を定義し数値で法則性を示していかなくてはならないという流れで生まれたのが行動科学という方法です。行動分析学も行動主義の1分野だと僕は考えています。しかしながら、行動主義は行動そのものの出現や現象だけに焦点を絞り、心や意識は取り入れなくしてきたのだが、やはり人間には心があり脳の中で起こっている事も積極的に取り入れていこうという流れになっているそうです。今の脳科学ブームがその象徴ではないでしょうか?
僕の認識では以下のような理論です。
行動=靴をはく
行動分析学:外に出る際(先行刺激)→靴をはく→足の汚れなし↑歩きやすい↑長い距離歩ける↑
認知科学:靴をはこうと考えるのは親からの刷り込みであり、本来人間は靴などはかない、靴を履かないと親から叱られた経験が今に至る。そして、その特定の靴を選んで履くのは、その人の心理状態を表し、派手な靴を選ぶのは自己顕示欲の強いひとである等々
認知科学の意味があまりわかっていないので、間違っている可能性が大ですが、靴をはく行動一つを分析するにも、これほど違いがあるということをわかってもらえれば嬉しいです。
そして、色々ブログ等で検索すると認知科学は、行動分析学の中で心の理論と言われているみたいです。法政大学 島宗理先生のブログ、桜花学園大学 奥田健次先生のブログにも心の理論についての様々な説明がされていました。以前にも、「心の理論」発達と認知のセレナーデの行動分析 というテーマで奥田先生が法政大学にて特別講義を行っておられました。僕も、参加したいなーと思っていましたが、心の理論について先述したように意味がわかっていなかったことや場所が東京であったことなどから講義を聞きに行く行動が生起しませんでした。いまさらながら、参加した方が良かったと思います 残念でした。
繰り返しますが、物事には必ず批判等があります。完璧だと思っていた行動分析学に対する批判を知ることができて良かったです。ただ僕は、行動分析学に興味がありABC分析などをしているととっても楽しいのでそれでいいと思います。だって、行動分析学を勉強していたら脳内でドーパミンが分泌され楽しくなる・・・
あれっ・・ ドーパミンとか言っている事自体が認知主義に洗脳されているのかな???
P.S 今日の書き込みは内容に全く自信がないので途中で違う記事にしようと何度も考えましたが、行動分析学勉強中と名乗っているので、間違っていても勉強になるし将来見直したら成長の過程が見えるかなと思うので投稿します。この、P.Sを書くこと自体も不安を打ち消す(嫌悪刺激の除去)にしています。どなたか、認知主義や心の理論についての意見をいただければ光栄です。
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