2010年1月26日火曜日

高齢者とのコミュニケーションについて

大西@行動分析学勉強中です。
(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)


 高齢者介護施設や高齢者とのやりとりでよくこんな風景を目にする。

『〇〇(高齢者A)さん お昼ごはんは美味しかったですか??』

『はあ???』(聞こえない)

お昼ごはんは美味しかったですか???』(再度大きな声で)

『はあ???』(聞こえない)

お昼ごはんは美味しかったですか???』(さらに大きな声で)

『・・・・・』(〇〇さん)

『・・・・・』(声かけした人)

コミュニケーション終了。。。。

といった風にお互い後味の悪い結果になることが多く見られる。そこで、僕は以下のように相手に伝えるためのイントラクションをどうすればよいか考えて工夫している。

○声の大きさ  ○声の高さ  ○しゃべるスピード  ○部屋の声の反響具合  ○その前にまず聞こえているかどうか  ○聞こえない場合はオーバーリアクションで(手話とまでいかないが、例えばごめんなさいを合掌するなど)  ○大きな口パク(声を出さない時もある)   etc

このようにインストラクションを工夫することで随分高齢者とのコミュニケーションは取りやすくなることがある。しかしながら、経験的にそれらのことができている人もいるが、学び手のことを考えながら実施することでさらにコミュニケーションがとりやすくなるはずである。これらのことを考えるようになったのも行動分析学を学び始めてからである。

ただ、個人個人にその技術を伝達というか方法論を理解してもらうにしても限界効用が働き、もっと簡単で単純な方法はないものかと考えている。例えば筆談は、もっとも簡単で大きな文字を書きさえすればコミュニケーションにはもってこいのインストラクションである。宣伝ではないが、徳島にあるNPO法人が開発したCOBOという携帯筆談器があり僕の理想に近かったので使ってみた。少し文字が消しにくいのと耐久性があまり良くないことなどから介護者がそれを使う行動には般化しなかったので、さらなるCOBOのグレードアップを期待して待っている状態です。
 僕が、思い描く理想は例えば音声認識させると、文字が浮かび上がるような簡易筆談器である。以前に法政大学の島宗先生がブログで、音声認識ソフトにこのようなレビューを書かれていたのを思い出した。まだまだ音声認識自体にも問題があるとのことだが、上記COBOに音声認識装置をつけ自動表示できるようなシステムがあれば随分とコミュニケーションも楽になるような気がする。もちろん、コミュニケーションが上手く取れない人だけに使用することが前提ではある。

 少し話は変わるが、先日『アバター』という3D映画をみた。とにかく、3Dも内容も凄すぎるのである。タイタニックの興行収入を抜き歴代No1ヒット映画になることは確実らしい。入場時に3D専用メガネを貸してくれ、映画のスクリーンが立体になるのだ。そのうえ、映画の内容自体も今までより一歩先行くストーリーであり、2Dから3Dへ、携帯からIphoneへと本当に時代は行くところまで行きついてしまったという感想である。

そんな世の中なので、僕の妄想ハイテク筆談器も時代から考えれば容易に実現可能な機械ではないかとも思う。

2010年1月24日日曜日

回転寿司を分析する

大西@行動分析学勉強中です。
(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)


 先月、家族で近くの回転寿司(1皿105円)に行った時の話である。時々行く店ではあるが、徳島には去年から新規回転寿司チェーンが進出してきており店も危機感を持っているのか、システムを若干改善していたので報告します。

 まず、店に入るとタッチパネル式の希望座席を選ぶ機械が導入されており、おおよその待ち時間が分かるようになっている。待ち時間が分かるということは、まだかまだかというイライラも抑えられるという利点がある。次に座席を選ぶと、数字の書いた紙が排出されそれを持って待っているというわけだ。以前は店員さんが、次にお待ちの〇〇さんどうぞーーと順番を呼んでいたが、○番をお持ちのかたどうぞーーというふうに名前を呼ばないようになった。よいことである。

さあ、いざ回転寿司を食べるのであるがここからは少し写真を交えながら紹介する。回転寿司といえば名の通り回転してきたお寿司をとって食べるのであるが、最近は回転しているものを取らずに注文する人も多いのではなかろうか?以前までは、玄関のインターホンのようなもので注文を行っていたが次のようなオーダーシステムに変更されていた。


画面をタッチして、好きなものを選べるようなシステムである。これを導入することで、インターホン越しに店員さんとやり取りする必要はなくなり 『特大一貫うなぎ3皿ください!!』 などと恥ずかしさを乗り越えなくとも簡単に4皿でも5皿でも注文できるようになった。これは、本当によいシステムだと思う。間違いなく売上は上がるはずである。(この機械がいくらするのかは別として)

だが、しかし

いくらか問題点も見受けられた。注文方法などは特に問題もなく非常に使い勝手もよく満足したが、お寿司が手元に来るまでが問題ありなのだ。この写真を見てください。


しばらく注文を待っていると、『もうすぐ注文の品が流れてきます』 というアナウンスがあり、このような形で、黒い注文の品と書かれた皿に重ねられて流れてくる。しかし、もうすぐという言葉は具体的ではない上、同様の品がたくさん流れているので自分の皿を選ぶ弁別刺激が見つけられないのである。しかも、先述したシステムは注文しやすいので、注文行動を強化したくさん注文してしまうので到着しますのアナウンスが流れても何を頼んだのかわからなくなっていることもあった。

 そのような状況で、どれが自分の注文なのかわからないことや注文内容を自分で把握していないこと、もしかすると他の人の注文かもしれないものを手にしてしまっていることなどから、結局は最終的に注文の品と書いてある物を躊躇なく手にとる行動が強化されてしまっていたのである。このことより、注文が届かないというクレームが多くあるかもしれないが、お互い違う注文の品を取り合って結局満足して帰ってしまうことが多いようにも思う。現にクレーム等も見受けられなかった。

 ここの回転寿司屋さんは、大金をかけてよい注文システムを構築してはいるが、残念ながら注文の品が正確にお客さんに届いていないようである。しかしながら、人の注文を横取りしても本人はもとより他人からもそれがわからないので、さほど嫌子とはならずお互いが横取りをしあうがケンカにもならないという結果論として素晴らしいシステムになっている。

 毎回のことであるが、学び手はすべて正しい。介入結果が予想と違っていても、それはそれで結果としてよいシステムになっている非常に面白い回転寿司屋でした。次回行った際には、もしかすると注文品の弁別刺激が加えられているかもしれません。

2010年1月21日木曜日

クラッシック音楽

大西@行動分析学勉強中です。
(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)


先日、徳島にて世界的に有名な弦楽器演奏者らによるコンサートが行われた。実は少し前に茂木健一郎さんの 『すべては音楽からうまれる』 という本を読んでクラッシック音楽に興味を持ったので、行ってみたかった。都合で行けなかったが、一度はクラッシック音楽の生演奏を聞いてみたいと思っている。なぜかというと、本の一節で茂木先生は、音楽が好きでよく聞きに行っているらしく、一度クラッシックコンサートにて体内の深いところにある何かに手が届きそうな得も言われぬ感動をしたことがあるとの記述があったからである。そんな経験をしてみたいと思っている。確かに、クラッシックの歴史は何百年と古く今でもモーツァルトやベートーヴェンは、誰でも一度は聞いたことがある。それだけの期間愛され続ける音楽は今のポップミュージックにはない魅力があるからではなかろうか。なにか、人の心を揺さぶる、そんな音楽域を持っているのではないかと思う。今月末にも、徳島でクラッシックコンサートがあるそうなのでかならず参加してみようと考えている。

 そんな考えの中、面白い記事を見かけた。

 イギリスは、学生の時に問題を数回重ねると罰として居残り勉強や反省文を数時間行わさせられる伝統があるそうです。問題行動を減らそうとする嫌子出現による弱化をねらった介入です。
 そんな中、ある学校の校長先生が居残りの罰としてクラッシック音楽(モーツァルトとヴェルディ)を2時間半大きな音で聞かせながら校長お気に入りのポエムを書かせることにしたそうです。これはよい音楽を聞かせることで、精神的にリラックスさせ問題行動を減らそうと考えているのではないかと思いました。

 校長の狙いは的面で4年前は50~60人であった居残り組が、なんと20人にまで減ったそうです。音楽の力はやっぱりすごいなと思いました。

・・・・・・・・・それが、違うのです。

なんとクラッシック音楽そのものが、生徒に好影響を与えているというよりも、実は生徒たちにとってクラッシック音楽を聴かされることは居残り勉強や反省文を書かされることよりも強い嫌子として作用していたようなのです。なかには、音楽を聞かされることを 『音楽地獄』 として恐れていた子もいたそうです。

 自分がよいと思ったことでも、他人から見ると全く逆のことであることをよく表している面白い記事でした。学び手はすべて正しいことは、徳島ABA研究会スタッフのポリシーではありますが学び手の気持ちを理解することは想像以上に難しいことだと痛感しました。

2010年1月1日金曜日

明けましておめでとうございます

大西@行動分析学勉強中です。
(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)

明けましておめでとうございます。というセリフは会長にお任せしようと思っていましたが、元旦にブログを書き込むチャンスができたので、先手をきらせてもらいます!!

 ところで、行動分析学に興味をもっていると自然に行動を分析している自分がいることに気がつきます。例えば今日も、洗顔後につけるヒアルロン酸ローションですが、時々つける行動が生起しません。特に考えることなく、使った後引き出しの中に入れるのをやめ出しっぱなしにしておきました。そうすることで、つける行動は生起し続けています。行動コストを減らしたということです。

 少し話はそれますが、専門バカということについてどうお考えでしょうか?民主党政権になり事業仕分けでスーパーコンピューター事業や科学分野での事業費の大幅カットがありました。TV番組にて、専門家がカットは撤回して欲しいと抗議をしているのを見て、解説者が『専門バカ』にならずに第三者目線で見たところ相応の評価でありカットは正当である。と再反論されているのを目にしました。
 このような事より、専門バカとは、第三者目線になれない人のことを指すのではないでしょうか?ヲタクと呼ばれる人たちも専門バカの一員であるように思います。一生懸命一つのことに取り組むことで他のことが見えなくなってしまうということは、決して異常なことではなく自然なことなのです。人間は、重要なことのみを意識へと通過させるシステムが脳に備わっています。これを簡単に説明しますと、今これを読んでくださっている皆様の画面上にオレンジ色はありますでしょうか?多分BloggerのロゴマークやRSSのマークがオレンジ色だと思います。僕が、オレンジ色はあるかと尋ねたのでオレンジ色の重要度が上がったからオレンジ色を脳が意識に通したのです。訪ねる前は、オレンジ色の存在には全く興味がなかったはずです。その他の質問ですが、ブルーはあったでしょうか?
 と言うと今度はブルーも重要になったので脳がブルーを意識へ上げてきました。

 このような実験より、一つのことを熱心に取り組めば取り組むほど、他の当たり前のことが意識へ上がりにくくなります。先程の事業費カットも、通常の考えでは今の財政状況を打破するためにも、経費削減が叫ばれている中、スーパーコンピュータや科学技術などの一般離れしたところに何百、何千億円の税金が流れていくのはけしからんと思うのが普通ではないでしょうか?

 なにが言いたかったかと申しますと、先日嫁にこんな注意をされました。

嫁 『風呂にはいるとき 水を散らさんといて!!』

まったく意味がわかりませんから 聞き返しました。

僕 『風呂で周りに水を散らしたら 一体全体 なんの不都合がある?』

嫁 『・・・・』

人に注意をするにもかかわらず、理由を尋ねると ・・・・ ってどういう事でしょう。多分僕は、こころの中で僕が水を散らす行動のあとにどのような嫌悪刺激が現れるのか知りたかったのです。それを知ることで水を散らす行動を減らす、もしくは嫁の注意行動を減らすことを分析したかったのです。

 このやりとりのあと はと気づきました。自分の脳内では後続刺激の分析をしていますが、それを知らない嫁にとっては、理屈っぽい人ねえ、人がやめてって言うとその理由を聞くなんて全く意味がわからない!と思っているかもしれないことを。

 行動分析学を学んでいる人にとって当たり前のABC分析ですが、それは専門的な考えであり、一般的には理屈っぽいと言われても仕方がない可能性があることを悟った今日この頃でした。

皆様 良い一年をお送りくださいませ!!!