2010年1月21日木曜日

クラッシック音楽

大西@行動分析学勉強中です。
(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)


先日、徳島にて世界的に有名な弦楽器演奏者らによるコンサートが行われた。実は少し前に茂木健一郎さんの 『すべては音楽からうまれる』 という本を読んでクラッシック音楽に興味を持ったので、行ってみたかった。都合で行けなかったが、一度はクラッシック音楽の生演奏を聞いてみたいと思っている。なぜかというと、本の一節で茂木先生は、音楽が好きでよく聞きに行っているらしく、一度クラッシックコンサートにて体内の深いところにある何かに手が届きそうな得も言われぬ感動をしたことがあるとの記述があったからである。そんな経験をしてみたいと思っている。確かに、クラッシックの歴史は何百年と古く今でもモーツァルトやベートーヴェンは、誰でも一度は聞いたことがある。それだけの期間愛され続ける音楽は今のポップミュージックにはない魅力があるからではなかろうか。なにか、人の心を揺さぶる、そんな音楽域を持っているのではないかと思う。今月末にも、徳島でクラッシックコンサートがあるそうなのでかならず参加してみようと考えている。

 そんな考えの中、面白い記事を見かけた。

 イギリスは、学生の時に問題を数回重ねると罰として居残り勉強や反省文を数時間行わさせられる伝統があるそうです。問題行動を減らそうとする嫌子出現による弱化をねらった介入です。
 そんな中、ある学校の校長先生が居残りの罰としてクラッシック音楽(モーツァルトとヴェルディ)を2時間半大きな音で聞かせながら校長お気に入りのポエムを書かせることにしたそうです。これはよい音楽を聞かせることで、精神的にリラックスさせ問題行動を減らそうと考えているのではないかと思いました。

 校長の狙いは的面で4年前は50~60人であった居残り組が、なんと20人にまで減ったそうです。音楽の力はやっぱりすごいなと思いました。

・・・・・・・・・それが、違うのです。

なんとクラッシック音楽そのものが、生徒に好影響を与えているというよりも、実は生徒たちにとってクラッシック音楽を聴かされることは居残り勉強や反省文を書かされることよりも強い嫌子として作用していたようなのです。なかには、音楽を聞かされることを 『音楽地獄』 として恐れていた子もいたそうです。

 自分がよいと思ったことでも、他人から見ると全く逆のことであることをよく表している面白い記事でした。学び手はすべて正しいことは、徳島ABA研究会スタッフのポリシーではありますが学び手の気持ちを理解することは想像以上に難しいことだと痛感しました。

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