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2010年2月1日月曜日

新年の決意

大西@行動分析学勉強中です。
(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)


 新年明けてはや1ヶ月が経過しちゃいましたね。。。

1.2.3月は早いと言われていますがなぜなんでしょうか?個人的にはそのように感じたことはないのですが、ただ単に2月が28日までだからそう感じるのでしょうかね?

ところで、新年に目標を掲げた人はいらっしゃいますでしょうか?ちょっと前に 8割近くの人は新年の目標を達成することができず、挫折した経験があるという結果が というネット記事を見かけました。行動分析学でも目標を掲げること(先行刺激の整備)は有用で、高齢者介護においても筋力トレーニングをする際に、足を伸ばす力が20KGになると杖なしで歩けるようになりますので頑張りましょう!!!と具体的な目標を掲げることがよい成績を上げています。

その記事の中で、英ハートフォードシャー大学で心理学を研究するリチャード・ワイズマン教授が目標を達成するために10のアドバイスとして以下の事を上げていたので、ちょっと考えてみました。ちなみにワイズマン教授は 『その科学が成功を決める』 などの数々の訳本も日本で出版されているみたいで有名な教授みたいです。

>①目標は1つだけにする。

確かにいっぱい目標を立てるよりもクリアできる確率は上がりますよね。欲張ってあれこれ目標を立てる人もいるようですが、普通は2~3個の目標を掲げますよね。1つに絞ることは逆に難しいですね。

>②数日じっくり考える。

これは、大事なことだと思います。ただし、目標をじっくり考える前にどうすればよい目標が立てられるのかを知らなければいけませんよね。じっくり考えるの中にパフォーマンスマネジメントも勉強しなさいという意味も含まれているのかな?

>③以前立てた目標は避ける。

大方の人は毎年同じような目標ではないでしょうか?例えば10kg体重を落とすとか毎日10分英単語を覚えるだとか。以前立てた目標でクリアできなかった目標は避けるという意味でしょうか?

>④ごく普通の目標にする。

これについては、普通の目標という事自体が具体的ではないので、間違ったインストラクションではないでしょうか?世界平和とかではなく、達成したかどうか分かる目標(例えば毎日掃除とか)にするという意味でしょうか?

>⑤細かくポイントを設定し、1つずつクリアしていく。

これはまさしくスモールステップの法則ですね!!!スバラシイと思います!!

>⑥自分にプレッシャーをかけ、サポートを得るために友人や家族に目標を話す。

自分にプレッシャーをかけという部分は少し問題ですが、サポートを得るために友人や家族に目標を話すということは成功すると注目、賞賛などの好子が得られるという可能性がありますね!

>⑦定期的に「達成するとどう好ましくなるのか」を書き出し、利点を考えるようにする。

どう好ましくなるのかという部分は、どのような好子が出現するのか、もしくは嫌子が消失するのかですね!

>⑧モチベーションと進歩の感覚を守るため、1つのステップをクリアしたら自分にご褒美を与える。

自分への褒美という好子を出現させる。素晴らしいですね!!!

>⑨達成までの計画やプロセスを記録し、グラフや絵を使って分かりやすく示す。

これも、視覚的に具体的な進歩を確認しそれが好子となる。素晴らしいですね!!ただ、グラフが右肩下がりだと嫌子になるので要注意ですね。。

⑩心が折れそうなときは諦めるのではなく、一時的に前の習慣に戻ったと解釈する。

>これは教授からのメッセージです。そう考えるとよいのでしょう。行動分析学的には、何が原因で標的行動が生起しないのか分析する必要がありますね!!

というように、社会科学分野における一般読者向けのすぐれた業績を顕彰するジョセフ・リスター賞(英国科学協会)を受賞したことがあるような大教授の教えに物申してしまいました・・・。

ワイズマン教授、もしこのブログを見ていましたらコメント欄に感想などいただければと思います(笑)

2010年1月21日木曜日

クラッシック音楽

大西@行動分析学勉強中です。
(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)


先日、徳島にて世界的に有名な弦楽器演奏者らによるコンサートが行われた。実は少し前に茂木健一郎さんの 『すべては音楽からうまれる』 という本を読んでクラッシック音楽に興味を持ったので、行ってみたかった。都合で行けなかったが、一度はクラッシック音楽の生演奏を聞いてみたいと思っている。なぜかというと、本の一節で茂木先生は、音楽が好きでよく聞きに行っているらしく、一度クラッシックコンサートにて体内の深いところにある何かに手が届きそうな得も言われぬ感動をしたことがあるとの記述があったからである。そんな経験をしてみたいと思っている。確かに、クラッシックの歴史は何百年と古く今でもモーツァルトやベートーヴェンは、誰でも一度は聞いたことがある。それだけの期間愛され続ける音楽は今のポップミュージックにはない魅力があるからではなかろうか。なにか、人の心を揺さぶる、そんな音楽域を持っているのではないかと思う。今月末にも、徳島でクラッシックコンサートがあるそうなのでかならず参加してみようと考えている。

 そんな考えの中、面白い記事を見かけた。

 イギリスは、学生の時に問題を数回重ねると罰として居残り勉強や反省文を数時間行わさせられる伝統があるそうです。問題行動を減らそうとする嫌子出現による弱化をねらった介入です。
 そんな中、ある学校の校長先生が居残りの罰としてクラッシック音楽(モーツァルトとヴェルディ)を2時間半大きな音で聞かせながら校長お気に入りのポエムを書かせることにしたそうです。これはよい音楽を聞かせることで、精神的にリラックスさせ問題行動を減らそうと考えているのではないかと思いました。

 校長の狙いは的面で4年前は50~60人であった居残り組が、なんと20人にまで減ったそうです。音楽の力はやっぱりすごいなと思いました。

・・・・・・・・・それが、違うのです。

なんとクラッシック音楽そのものが、生徒に好影響を与えているというよりも、実は生徒たちにとってクラッシック音楽を聴かされることは居残り勉強や反省文を書かされることよりも強い嫌子として作用していたようなのです。なかには、音楽を聞かされることを 『音楽地獄』 として恐れていた子もいたそうです。

 自分がよいと思ったことでも、他人から見ると全く逆のことであることをよく表している面白い記事でした。学び手はすべて正しいことは、徳島ABA研究会スタッフのポリシーではありますが学び手の気持ちを理解することは想像以上に難しいことだと痛感しました。

2010年1月1日金曜日

明けましておめでとうございます

大西@行動分析学勉強中です。
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明けましておめでとうございます。というセリフは会長にお任せしようと思っていましたが、元旦にブログを書き込むチャンスができたので、先手をきらせてもらいます!!

 ところで、行動分析学に興味をもっていると自然に行動を分析している自分がいることに気がつきます。例えば今日も、洗顔後につけるヒアルロン酸ローションですが、時々つける行動が生起しません。特に考えることなく、使った後引き出しの中に入れるのをやめ出しっぱなしにしておきました。そうすることで、つける行動は生起し続けています。行動コストを減らしたということです。

 少し話はそれますが、専門バカということについてどうお考えでしょうか?民主党政権になり事業仕分けでスーパーコンピューター事業や科学分野での事業費の大幅カットがありました。TV番組にて、専門家がカットは撤回して欲しいと抗議をしているのを見て、解説者が『専門バカ』にならずに第三者目線で見たところ相応の評価でありカットは正当である。と再反論されているのを目にしました。
 このような事より、専門バカとは、第三者目線になれない人のことを指すのではないでしょうか?ヲタクと呼ばれる人たちも専門バカの一員であるように思います。一生懸命一つのことに取り組むことで他のことが見えなくなってしまうということは、決して異常なことではなく自然なことなのです。人間は、重要なことのみを意識へと通過させるシステムが脳に備わっています。これを簡単に説明しますと、今これを読んでくださっている皆様の画面上にオレンジ色はありますでしょうか?多分BloggerのロゴマークやRSSのマークがオレンジ色だと思います。僕が、オレンジ色はあるかと尋ねたのでオレンジ色の重要度が上がったからオレンジ色を脳が意識に通したのです。訪ねる前は、オレンジ色の存在には全く興味がなかったはずです。その他の質問ですが、ブルーはあったでしょうか?
 と言うと今度はブルーも重要になったので脳がブルーを意識へ上げてきました。

 このような実験より、一つのことを熱心に取り組めば取り組むほど、他の当たり前のことが意識へ上がりにくくなります。先程の事業費カットも、通常の考えでは今の財政状況を打破するためにも、経費削減が叫ばれている中、スーパーコンピュータや科学技術などの一般離れしたところに何百、何千億円の税金が流れていくのはけしからんと思うのが普通ではないでしょうか?

 なにが言いたかったかと申しますと、先日嫁にこんな注意をされました。

嫁 『風呂にはいるとき 水を散らさんといて!!』

まったく意味がわかりませんから 聞き返しました。

僕 『風呂で周りに水を散らしたら 一体全体 なんの不都合がある?』

嫁 『・・・・』

人に注意をするにもかかわらず、理由を尋ねると ・・・・ ってどういう事でしょう。多分僕は、こころの中で僕が水を散らす行動のあとにどのような嫌悪刺激が現れるのか知りたかったのです。それを知ることで水を散らす行動を減らす、もしくは嫁の注意行動を減らすことを分析したかったのです。

 このやりとりのあと はと気づきました。自分の脳内では後続刺激の分析をしていますが、それを知らない嫁にとっては、理屈っぽい人ねえ、人がやめてって言うとその理由を聞くなんて全く意味がわからない!と思っているかもしれないことを。

 行動分析学を学んでいる人にとって当たり前のABC分析ですが、それは専門的な考えであり、一般的には理屈っぽいと言われても仕方がない可能性があることを悟った今日この頃でした。

皆様 良い一年をお送りくださいませ!!!

2009年12月27日日曜日

行動分析学は時代遅れ?

大西@行動分析学勉強中です。
(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)

 以前、T会長にこんな質問をしてみた。


僕:『行動分析学って批判や反論ってあるんですかね?』


T会長:『うーーん 聞いた事ないなあ・・・』


そうなんですよね。何事にも批判や反論はつきものです。しかし、行動分析学についてはあまり批判的な意見は聞いたことがありませんでした。以前に参考文献などで、人を動物扱いしているという批判があるということは目にしたことがありますが、人だって動物だし、ご褒美にアメをあげることが行動分析学と思っている人の意見なのかなと思っていました。

 しかしこの度、なるほどと思う批判(批判ではありませんが、行動分析学への捉え方?)を耳にする事がありました。それは、

 時代は、行動主義から認知心理学へ推移している 】

という意見です。その意味というのを次のように説明されていました。

 心理学の歴史からいうと古くは孔子や老師(儒教)に始まり、人の心をその人の捉え方で表現することが始まりだそうです。そうしていく中で、心理学を科学とし定型化してくためには、行動を定義し数値で法則性を示していかなくてはならないという流れで生まれたのが行動科学という方法です。行動分析学も行動主義の1分野だと僕は考えています。しかしながら、行動主義は行動そのものの出現や現象だけに焦点を絞り、心や意識は取り入れなくしてきたのだが、やはり人間には心があり脳の中で起こっている事も積極的に取り入れていこうという流れになっているそうです。今の脳科学ブームがその象徴ではないでしょうか?

 僕の認識では以下のような理論です。

行動=靴をはく
行動分析学:外に出る際(先行刺激)→靴をはく→足の汚れなし↑歩きやすい↑長い距離歩ける↑
認知科学:靴をはこうと考えるのは親からの刷り込みであり、本来人間は靴などはかない、靴を履かないと親から叱られた経験が今に至る。そして、その特定の靴を選んで履くのは、その人の心理状態を表し、派手な靴を選ぶのは自己顕示欲の強いひとである等々

認知科学の意味があまりわかっていないので、間違っている可能性が大ですが、靴をはく行動一つを分析するにも、これほど違いがあるということをわかってもらえれば嬉しいです。

 そして、色々ブログ等で検索すると認知科学は、行動分析学の中で心の理論と言われているみたいです。法政大学 島宗理先生のブログ
桜花学園大学 奥田健次先生のブログにも心の理論についての様々な説明がされていました。以前にも、「心の理論」発達と認知のセレナーデの行動分析 というテーマで奥田先生が法政大学にて特別講義を行っておられました。僕も、参加したいなーと思っていましたが、心の理論について先述したように意味がわかっていなかったことや場所が東京であったことなどから講義を聞きに行く行動が生起しませんでした。いまさらながら、参加した方が良かったと思います 残念でした。

 繰り返しますが、物事には必ず批判等があります。完璧だと思っていた行動分析学に対する批判を知ることができて良かったです。ただ僕は、行動分析学に興味がありABC分析などをしているととっても楽しいのでそれでいいと思います。だって、行動分析学を勉強していたら脳内でドーパミンが分泌され楽しくなる・・・


あれっ・・ ドーパミンとか言っている事自体が認知主義に洗脳されているのかな???





P.S  今日の書き込みは内容に全く自信がないので途中で違う記事にしようと何度も考えましたが、行動分析学勉強中と名乗っているので、間違っていても勉強になるし将来見直したら成長の過程が見えるかなと思うので投稿します。この、P.Sを書くこと自体も不安を打ち消す(嫌悪刺激の除去)にしています。どなたか、認知主義や心の理論についての意見をいただければ光栄です。

2009年12月18日金曜日

ブログを書くことへの行動分析

大西です。

 本日より再びtanakaさんと共にブログを続けていきたいと考えています。よろしくお願い致します。
最近、なぜブログを継続できないのかABC分析し、分かったことがあるのです。

 まず、ブログを続けるには好子が出現するか、嫌子が消失するかです。tanakaさんもよくブログを続けるには、コメントをもらうことが好子だとよく言われています。僕もそうだよなと思っていました。確かに、M先生がコメントをくれたときは嬉しかったので、それが強化子と作用するのは確かである。

 しかし、よくよくブログを書くことを分析するとやはり継続できていないことが現状です。ということは、嫌子が出現、もしくは好子が消失していることに原因があると考えました。

よくよく内観してみたところ分かりました。僕は、ブログを書き込んだあとに不安という嫌子が出現していたのです。ブログへの記入内容が偏った考え方なのかなーとか、行動分析学の初学者なので基礎的な事が間違っているのではないかなーとか考えてしまうのです。そこで、コメントがないとその不安がさらに増強するのです。コメントというのは、好子出現ではなく、嫌子消失に近いものがあるのかもしれません。

 ABA学会等でも徳島ABA研究会は注目されているそうですし、ブログというのは誰でも閲覧できるので明らかな間違いは書きたくないものです。今は、明らかな間違いが何であるかすらわかっていないのが現状です。


しかし!!!!


 やめてしまうのは簡単ですが、ABAのレベルを向上させるためにも徳島ABA研究会の名前を借りて投稿させてもらっている以上、ブログを書くことは必須と考えています。この行動を続けられるよう介入することがよりよい行動分析家への第一歩ではないでしょうか。

なので、先行刺激の整備としてブログの冒頭で名乗る(徳島ABA研究会の決まりごと)際に、こう始めることとしてみます。

大西@行動分析学勉強中です。
(誤った考え方、分析方法にコメントでアドバイスいただければ励みになります)

どうでしょうか?これで、心置きなく偏った考え方や根本的な誤りも記入しやすくなるはずです。。。

2009年7月6日月曜日

人気

大西です。

 石原裕次郎さん(享年52)の二十三回忌法要が、国立競技場(東京都新宿区)で営まれ、徹夜組600人を含めファン約11万7千人が献花に訪れたそうです。国立競技場を10日間貸り切り、お墓のある横浜・総持寺から本尊 の お釈迦様 を移動して まで裕次郎さん をしのぶそうです。総費用は10億円を超えるそうで、実際に現場をみたわけではありませんが11万人が国立競技場へ足を運ぶ行動をするのですから、相当な動員がかかっているとしてもこれはすごいことです。お亡くなりになり23年が経過しているのですよ。

 最近では、忌野清志郎さんの葬儀に4万2000人が参列したり、過去の著名人の葬儀等では、XJAPANのhideさんの5万人(平成10年、築地本願寺)、美空ひばりさんの4万2000人(平成元年、青山葬儀所)、ZARDの坂井泉水さんの4万人(平成19年、青山葬儀所)、尾崎豊さんの3万7000人(平成4年、護国寺)などがいますが、ほとんど歌手です。石原裕次郎さんも歌をうたっていました。

 ということを考えていましたら、歌(音楽)っていうのはすごい力があるんじゃないかなって思いました。

 卒業式に蛍の光や贈る言葉などを聞くだけでなんだか胸に思いがこみ上げてきますよね。心理学や行動分析学的に考察することは今の僕の知識では少し難しいのですが、人それぞれに、その音楽についての思い出や感情があり、その曲を聴いたり、歌っている歌手を見るとその状況や感情と重なり強力な好子になるんじゃないかなって思います。だから、その歌手が亡くなることで、歌っている姿が見えなくなってしまうので、その好子が消失してしまう名残惜しさによる強化行動で献花にいく行動が出現しやすいのかなぁとか思います。(バーストなのかも?)

 ただ、僕は幼いときに裕次郎さんを西部警察の再々放送くらいで見て知っているくらいなので、現役の裕次郎さんを知りません。今でいうと、スマップと福山雅治とオダギリジョーと小栗旬あたりをひとまとめにしてもかなわないほどの人気だったと聞いています。いわば、裕次郎さん現役世代にとっては、神様(教祖様)みたいなものではないでしょうか。

 こういった、集団の強化子を理解できるようになったらABAももっと楽しくなるに違いないと思います。何故、11万人がそこへ行くのか不思議に思ったので書かせてもらいました。